日産自動車(横浜市)は5月18日、「役員人事について」と題したプレスリリースを発表した。その内容は、最高財務責任者(CFO)のジョセフ・ピーター氏が退任し、専務執行役員の軽部博氏が昇格するというものだった。ピーター氏は、兼任していた子会社の日産フィナンシャルサービスの会長も退任した。退社の理由は明らかにされていない。季節外れの人事に、「社内で何かあったのか?」と関係者の間で囁かれていたという。
それから約半年。衝撃のニュースが日本中を駆け巡った。日産会長のカルロス・ゴーン容疑者(64)が、有価証券報告書に自らの報酬を過小に報告したとして、金融商品取引法の容疑で11月19日に逮捕された。ゴーン容疑者は、日産の子会社を通じて会社の資金を私的に流用し、その額は約50億円にのぼるとされる。
冒頭のピーター氏の辞任とゴーン容疑者の逮捕が、どう関係しているかはまだ不明だが、日産社内では、ピーター氏の辞任の前後から疑惑の社内調査が始まっていた。関係者はこう話す。
「日産の中では、ごく限られた人物が内部告発を把握し、ひそかに調査をはじめた。そこで重大な違法行為がわかった」
金融商品取引法の最高刑は懲役10年。しかし、この逮捕には疑問がのこる。まず、有価証券報告書の虚偽記載はゴーン容疑者の単独で実行できるとは思えない。一緒に逮捕されたグレッグ・ケリー容疑者(62)も日産の代表取締役。有価証券報告書の改ざんには、外国人である2人だけでなく、総務部や財務部など他の社員の協力者がいたのではないかと考えるのが自然だ。
ところが、逮捕されたのは2人だけ。それでも日産の西川広人社長は19日夜の緊急会見で、不正に関する内部調査はすでに終了したと説明した。そのうえで、調査結果を「検察当局のみなさんとシェア」したという。前出の関係者はこう話す。
「検察への情報提供のなかで、日産と東京地検特捜部は司法取引をした」
司法取引が今回の事件を読み解くキーワードである。日本版司法取引は、今年6月に導入された。贈収賄や談合などの経済犯罪のほか、薬物や銃器犯罪などの組織犯罪がおもな対象だ。司法取引が国内で適用されるのは、今回で2例目。司法取引によってゴーン容疑者の逮捕が実現したことから、前向きに評価する声も出ている。
しかし、今回の司法取引の手法は正しかったのか。元東京地検特捜部検事の郷原信郎氏は、こう話す。
「日経新聞によると、過小と判断された役員報酬は、株価に連動した報酬40億円を有価証券報告書に記載していなかったとのことです。日産関係者が記載するよう指摘したところ2人は拒否したとのことですが、これが事実だとすると、ゴーン氏とケリー氏の報酬は日産から現金で支払われていたことになる。最終的には会社が組織で不記載にしていたということです。2人の刑事責任が重いのは当然としても、他の日産幹部も刑事責任を問われることは避けられません」
それでも他の日産幹部が逮捕される気配はない。そこには、日産社内外の複雑な政治力学がからみあっているようにみえる。
西川社長は、会見で繰り返し「ルノーのトップが日産のトップを兼任するのは、ガバナンス上問題があった」と説明した。ルノーは、日産の株式の43%を保有していて、日産の経営に強い影響力を持つ。さらに、経営不振が続くルノーは、日産との提携強化を望んでいる。一方、日産の経営陣には、ルノーが送り込んだ外国人の役員が多くいる。この現状について、会見で西川社長は「ゴーン会長に権限が集中していた」と説明。現在の体制を「負の遺産」と表現して、断罪した。
事件発覚後の行動もすみやかだった。ゴーン容疑者の逮捕が明らかになったのは、19日夕。同日22時には西川社長による記者会見が開かれた。翌20日午前には、同社の川口均専務執行役員が首相官邸を訪問。菅義偉官房長官に、騒動を起こしたことを謝罪した。
菅義偉官房長官は21日午前の記者会見で、日産自動車(7201)と仏ルノー、三菱自動車(7211)の3社連合について「安定的な関係を維持していくことが大事だ」と述べた。日産自会長のカルロス・ゴーン容疑者の逮捕をきっかけに、資本関係が見直されるのではないかといった一部の声に関しては「懸念がないようにしっかりと対応することが基本だ」と話した。
22日には取締役会議が開かれ、ゴーン容疑者とケリー容疑者が解任される見通しだ。
すべてが計算されているかのような展開に、会見でも記者から「クーデターではないか」との質問が出たほどだ。西川社長は即座に否定したが、額面通りに受け止める人はいない。前出の郷原氏は言う。
「問題は、日産社内で通常のガバナンスに基づいてゴーン氏を追い落とすことができないので、特捜部の力を借りてクーデターを起こし、特捜部もそれに加担したように見えることです」
ただ、ゴーン氏を逮捕しても、特捜部が裁判で有罪に持ち込める見通しは立っていない。捜査関係者は言う。
「特捜部は、ゴーン容疑者とケリー容疑者のどちらにも調べができていないようだ。先進国では、取り調べに弁護士が同席するのは当たり前。それができないのは日本ぐらいだ。今後もほとんど取り調べはできないのではないか」
さらに、「人質司法」の問題もある。日本は、外国に比べて身柄拘束の期間が長い。森友問題では、籠池泰典氏と妻の諄子氏が約10カ月にわたって勾留された。外国からは時代遅れの捜査手法として批判されている。特捜部もこのことを認識しているはずだ。ある特捜部OBは「人権問題に敏感なヨーロッパから批判を浴びるような長期勾留はできないだろう」と話す。また、今回の事件は「特別背任罪」での立件も視野に入っているが、海外の子会社を通じて資金が流れており、捜査の難航も予想される。
ゴーン容疑者については、かつて一緒に仕事をした人からすら「金に執着のある人。逮捕はさもありなんだ」と言われるほど、批判も多かった。ヴェルサイユ宮殿での結婚式など、派手な生活についても報じられている。一方、ルノー・日産・三菱自動車という自動車メーカー3社の調整役で、日本とフランスの間で敵が多かったのも事実だ。今回の逮捕によって、ルノーと日産の提携にも影響が出ることは避けられず、事件の背景はさらに複雑なものになっている。
東京地検特捜部は、前例のない「大物外国人の逮捕」と「役員報酬の虚偽記載」という、これまでに通ったことのない茨の道を歩もうとしている。そもそも、ゴーン氏が釈放された後、日本から離れたらどうするのか。公判すら開けない可能性もゼロではない。郷原氏は言う。
「はたして今回の問題に検察が関与したことは正しかったのか。司法取引が活用されたと言われていますが、虚偽記載の事実は客観的に明らかで、司法取引の対象となる捜査協力が考えられないので正式の司法取引はできません。日産の経営幹部との間でヤミ取引が行われた可能性があります。22日には取締役会議でゴーン氏の解任が決議されるとのことですが、検察との関係いかんでは特別利害関係人に当たる可能性があり、解任決議に加われないことになります」
特捜部からと思われる情報が次々に報道機関にリークされているが、真相は明らかになっていないことが多い。ゴーン容疑者は、釈放後に何を語るのか。特捜部の行動が勇み足だったかどうかは、その時にわかるだろう。
有価証券虚偽記載で検察が入ったという事は、他に余罪が無いか調べ処罰をどうするかの段階が近づいている可能性があり、東京証券取引市場での取り扱いにも注目が集まる。オリンパスやライブドアのように監理ポスト行きや、最悪の場合は上場廃止まで想定した取引が必要となりそうだ。ルノーの持ち株比率も40%以上と目立っており、買収に対抗すべく増資があるかもしれないと警戒されているようだ。
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